1個の卵の謎が解けるとき、未来は変わる 

私たちのからだは60兆個もの細胞からできていますが、もとはひとつの細胞です。たったひとつの卵細胞から複雑なからだができる様は、まさに生命の神秘。今もなお多くの謎に包まれた発生のしくみは、多くの研究者の心を捉えています。先日、これまでの発生のしくみの定説を覆す発見が報告されました。今回は、それを紹介したいと思います。

細胞たちは専門化する

私たちの複雑なからだは、たったひとつの卵細胞からどのようにしてできるのでしょう。受精卵からからだができるまでの過程を「発生」といいます。受精卵は、細胞分裂をくり返して細胞の数を増やし、やがては成体になります。けれど、ただ細胞の数が増えただけでは、私たちの今のようなからだにはなりません。

からだは、脳や肝臓といった、特定の機能をもっている組織や器官からできています。分裂して増えた細胞は、発生の過程で特定の働きをする種々の細胞に変化していくのです。これを「細胞分化」といいます。

発生の過程の初期に、外胚葉、中胚葉、内胚葉という3つの領域に分かれた細胞は、それぞれ別の細胞分化を遂げていきます。外胚葉からは皮膚や神経系、中胚葉からは骨や筋肉、内胚葉からは消化管や肺がつくられる、と生物の授業で習った人もたくさんいるのではないでしょうか。

先日、この教科書にも載っているこれまでの定説を覆すような報告が、日本の研究者によってなされました。神経系と中胚葉はいずれも「体軸幹細胞」と呼ばれる共通の細胞から生まれ、後に脊髄や骨、筋肉に分化する、というのです。
それについて詳しく紹介する前に、細胞の中で分化を操っているものの正体についてお話ししましょう。

遺伝子が細胞の分化を操る

細胞の分化には、遺伝子のはたらきが深く関わっています。からだを構築しているひとつひとつの細胞は、同じDNAゲノム(*1)をもっています。設計図であるゲノムは同じものをもっているにも関わらず、別々の組織、器官で働く細胞に分化できるのは、それぞれの細胞では特定の遺伝子が働くためです。細胞外あるいは、細胞内の環境の違いによって、特定の遺伝子のスイッチがONになったりOFFになったりすることで、細胞分化が起こっているのです。

遺伝子がONになる、OFFになるというのは、簡単にいえば遺伝子からタンパク質をつくるか、つくらないかということです。遺伝子には、タンパク質のつくり方が暗号として書かれています。DNA上に記された遺伝子の暗号は、まず「転写」といって、RNAにコピーされ、RNAにコピーされた暗号を解読してタンパク質がつくられます。細胞の中では、主に、DNAからRNAへの「転写」を調節することで、遺伝子のONとOFFをコントロールしています。

スライド1
この「転写」を調節しているのが、「転写制御因子」と呼ばれるタンパク質と、遺伝子に隣接する「転写調節領域」です。転写調節領域の中でも、遺伝子の「ON」に関わる調節領域を特に「エンハンサー」と呼びます。たとえば、ある転写制御因子が細胞の中でつくられ、特定のエンハンサーAと反応すると、エンハンサーAの調節を受ける遺伝子Aが転写され、タンパク質がつくられます。つまり、遺伝子AがONになるのです。

スライド2
1924年にシュペーマンのイモリ胚の移植実験によって「誘導」(*2)作用が発見されるよりも昔から、研究者たちは動物の発生のしくみを明らかにしようとしてきました。今では、細胞の分化を操っている正体である、遺伝子のON / OFFのしくみまでもが明らかにされようとしているのです。

神経と筋肉の分かれ目

今回の報告では、体軸幹細胞の神経系と中胚葉系への発生運命を決めるSox2遺伝子のON / OFFのしくみが明らかになりました。Sox2遺伝子のON / OFFのカギを握っているのは、TBX6という転写制御因子です。

Sox2という遺伝子のON / OFFは、エンハンサーN1によって調節されています。正常なマウスの胚では、エンハンサーN1は、胚盤葉上層と呼ばれる部分の細胞群でのみ働いています。もともと、この胚盤葉上層に由来する体軸幹細胞は、表層側と中胚葉領域という2つの部位に分かれていきます。表層側では、エンハンサーN1の働きによってSox2遺伝子はONとなり、神経系のもとになる神経管が形成されます。一方、表層側から中胚葉領域に移動した細胞群ではエンハンサーN1は働かず、Sox2遺伝子はOFFになります。転写制御因子TBX6こそが、この Sox2遺伝子のON / OFFをコントロールしているようなのです。

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