アラブ首長国連邦で発見された10万年前の人類の石器から分かることと数々の疑問、研究者が解説


Q4遠方へと広がっていったのは、解剖学上の新人の内、ある一握りの人数だけだったのだろうか?それとも、息絶えてしまったものは珍しく、6万年前には完全に離れることが出来たのだろうか?

A4研究者の第一人者であるハンズ・ペドロ・オータン(Hans Pedro Ortun)によると、本当のことを知る術はないが、見当をつけることはできるという。

 「私たちは自分たちが扱っている事柄からしか、彼ら新人が進んだ場所を言うことはできない。しかしその頃、砂漠はだんだんと酷くなっていたので、進む道は、アフリカへと戻る道よりは楽であることは、容易に言える。そのため彼らの進んだ道に関する自然な答えとしては、彼らは当時縮小していたペルシャ湾へと向かい、その後湾岸を進んで、ある者は北や西へ行きメソポタミアを築き、そして他の一部がイランの海岸に沿って東に進み、インド亜大陸へと着いたのであろう。」

Q5この発見は、我々の大陸移動について、何か告げているだろうか?

A5再びオータンさんに訊いてみると、少なくとも、この発見よりも2万年前には最初の移住が行われており、またその頃には既に、彼らは石器などの多くを作り出していたのだと言っている。

 「人類がアフリカ大陸を抜け出した順路については置いておくとして、今は人々をアフリカ大陸から移動させるきっかけを生み出した文化の発展から考えてみましょう。思うに、今分かることは、環境が移動することになった鍵だということです。氷期から間氷期への変化が南部回廊[6]を通りアフリカを離れると言う可能性を開かせました。またそれは単なる偶然に起こったことでなく、その時期が長く続いたため、人々に大きな可能性をみせ記憶に残ったのです。

私たちの考えは完全に変わったのです。元々あった見解では、アフリカ大陸からの出口はあまり多くはありませんでした。シナイ半島[7]か、それより南部のポイントのみでした。そのため私たちが考えるものも、エジプトからシナイ半島に抜けるルートなどでしたが、どれも何らかの問題を持っていました。そしてこの発見により新たな方法が開けました。私の意見では、大勢で移動するなら、北へと進み、陸を行くよりも、紅海を渡った方がより妥当だと言えます。」

Q6しかし、これがどのようにして遺伝子的なデータから出てきた6万年という数字と一致するのか?

A6初めに簡単に記したとおり、遺伝子に基づくデータには用心すべきいくつかの理由があり、またニコラス・ウエィド(Nicholas Wade)はその点をさらに強調している。彼は、この考古学上の発見は遺伝子的な根拠に基づいていないかも知れないが、それは遺伝子学の主張を非難するものではない、と指摘している。

 「仮に6万年前だという主張が合っている場合を、遺伝子的見解からみる代わりに、考古学的見解から見てみましょう。アフリカ大陸にいた人が、6万年前にアラビア半島へと文化的に何か運んでいたか、またアフリカ以外の場所で、それを発見することが出来るのでしょうか?今のところ、そのような物は見つかっておらず、6年前にアフリカの外にいたという、考古学的な証拠は無いのです。来年になればもしかしたら見つかるかもしれませんが、今のところ6万年前に移動していたという文明的な証拠は存在しないのである。


[1] 現生人類の俗称。ネアンデルタール人は旧人。
[2] アッセンブリッジ とは、考古学上の概念ないし用語で、一遺跡の一地点の同時期の遺物群の器種を総体としてとらえた場合に用いる言葉である。つまり今回見つかったものを「C群」として総称している。
[3] 旧人が作り出した石器などのこと。Acheulean – Wikipedia, the free encyclopedia
[4] 氷河期の比較的暖かい時期。
[5] 黒海の北岸、ウクライナにある半島。
[6] タイからミャンマー、バングラデシュ、インド、パキスタン、イラン、トルコを経てヨーロッパにいたる路線のこと。
[7] 紅海に突き出した半島。

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